墨染桜
境内にはかつて日本三古木の一つと称する墨染桜の木があった。
この地は天正十三年(一五八五)、佐々成政が清水村に馬場(桜馬場)をつくり、柵囲いに桜の木を植えた場所である。
この桜の木は、薄墨色の花を咲かせていたという。これが、稲荷の墨染桜である。
昭和十一年(一九三六)に開催された「日満博」のとき、新聞社が県下を代表する名産品、名物、遊覧地を募ったところ、この稲荷神社の墨染桜が、遊覧地の部門で第五位に入っており、戦前まで良く知られた桜の名所であったという。
しかし、昭和二十年の富山大空襲のとき、このわずかに残っていた墨染桜を始め、社殿や宝物、一切が烏有に帰したが、ご神体と若干の宝物が運び出されて難を逃れ、仮の建物であった拝殿も昭和五十八年に竣工して今日に至っている。